物語

日本のホテル

創業の思い

世界の賓客を満足させる、日本の特色をしっかりとそなえたホテル。ホテルオークラの創業者である大倉喜七郎(1882ー1963)は、そんなビジョンを誰より早く描いた人物でした。彼の父は、明治から昭和にかけて大倉財閥を築いた大実業家の大倉喜八郎です。その息子としてイギリスのケンブリッジ大学で学び、多くの事業にかかわった喜七郎もまた、豊かな教養と経験を持ち、数々の実績を残しています。国際化が本格的に進む第二次大戦後の日本に求められる、本当の意味で日本らしいホテルは、喜七郎の生涯をかけた念願だったのです。

瀟洒なセンスをそなえた大倉喜七郎は
男爵に叙せられ、バロン・オークラと
呼ばれていました。
社長 野田岩次郎の“和”

大倉喜七郎会長のもと、創業時の社長に就いたのが野田岩次郎(1897ー1988)でした。野田はホテル経営の経験はありませんでしたが、当時としては珍しい国際派のビジネスパーソンであり、各国のホテルを数多く利用していました。日本らしいホテルをつくるというビジョンを喜七郎と共有した彼は、日本の風土、伝統、文化を重視するホテルを構想し、着々と実現していきます。サービスの基本として彼が尊んだのは「和と親切」の精神。またホテルの雰囲気についても、日本の伝統的な美意識をデザインとして積極的に取り入れました。

野田岩次郎
一万八千坪の芸術

ホテルオークラは、大倉喜七郎の晩年にあたる1962年、旧大倉財閥の邸宅跡地を敷地として完成しました。洋風のホテル名が数多く候補にあがる中、創業者の名前をとりながら現代的に表記した「ホテルオークラ」という名前を提案したのは、社長の野田自身だったといいます。館内の設えは、派手さや豪華さではなく、平安時代の感性に通じる控えめな優美さを基調としたものでした。その感覚が、世界中の人々から愛された本館のロビーから500室に及ぶ客室まで、すみずみに息づいていたのです。そんな姿を見事に表現していたのが、「一万八千坪の芸術」という当時のキャッチフレーズです。

落ち着いた雰囲気が意図された
本館のメイン・ロビー

大統領から女王まで

大統領から女王まで

ホテルオークラに初めて滞在した世界の賓客は、1962年10月に来日したメキシコのマテオス大統領です。この時は、当時の天皇皇后両陛下がホテルに行幸啓され、晩餐会にも多くの皇族や財界人が集いました。またホテルがアメリカ大使館に近いこともあり、1974年のフォード大統領から2009年のオバマ大統領まで、歴代のアメリカ大統領の多くがオークラを利用。ほかにもチャールズ皇太子とダイアナ妃はじめ、各国の要人がこのホテルを訪れました。「世界の賓客を満足させる」という創業者の夢は、こうして現実になったのです。

1962年に来日したメキシコの
マテオス大統領と
天皇陛下(当時)。
世界をもてなす

世界各国の人々をもてなし、心から満足させるには、空間やサービスの魅力だけでは足りません。スタッフの語学力から、プライバシーやセキュリティに配慮した設備まで、高い水準を満たすべきだからです。開業して間もない1964年、ホテルオークラは日本初のIMF総会の会場に選ばれ、「平安の間」に約2500人の関係者を迎える大役を果たします。それは、世界の一流ホテルとしてのイメージが確立された瞬間でした。以来、各国の要人が訪れる日本国内のサミットや迎賓館での催しなどでも接遇を担当。世界をもてなすのは、このホテルの使命なのです。

英国 マーガレット王女ご夫妻/1969

鬼と呼ばれた男

鬼と呼ばれた男

施設(Accommodation)、料理(Cuisine)、サービス(Service)は、オークラがホテル開業時から力を入れた三本柱でした。その料理を語る上で欠かせないのが開業当時総料理長、小野正吉です。14歳で料理の道に進んだ彼は、原書で料理本を読むためフランス語を独学するほどの努力家でした。いくつかのレストランでの経験を経て開業前のホテルオークラに招かれ、調理部長を経て1969年に総料理長に就任。味と美しさに決して妥協しない厳しさから“フランス料理の鬼”と呼ばれた彼ですが、ホテル内では現在も“ムッシュ小野”の愛称で敬愛され続けています。

シェフ小野正吉
名シェフとの交流

1960年代の日本では、フランス料理は西洋料理の中にひとくくりにされていたといいます。オークラは、当時からフランスの実力派シェフを招聘し指導を依頼して、技術や知識の向上を図っていきました。小野正吉は、すでにホテル開業前にフランスなどの一流店で研修し、本場の空気を知っていました。さらにフランス料理の最先端に触れることで、その創造性を高めていったのです。こうして小野と交流を持ったシェフには、ポール・ボキューズやジョエル・ロブションといった著名なシェフも少なくありません。

小野正吉(左から1番目)と
ジョエル・ロブション(右から2番目)。
正統の味を未来へ

1973年、ホテルオークラの別館が完成するにあたり、その12階にフランス料理「ラ・ベル・エポック」がオープンしました。味、空間、サービスなどすべてにおいて、日本における正統フランス料理の頂点を目指したこのレストランは、総料理長 小野正吉の本領が存分に発揮される舞台となります。やがて彼が“日本のフランス料理の父”と評されたのは、ここで彼が確立したレシピが広く受け入れられたことを物語ります。さらにムッシュ小野の味は、The Okura Tokyoのレストラン「ヌーヴェル・エポック」へと進化しながら確実に受け継がれています。

小野直筆のノート

日本美

静かなるロビー

静かなるロビー
プレステージタワーロビー
静かなるロビー

The Okura Tokyoは、オークラ ヘリテージウイングとオークラ プレステージタワーのそれぞれに、このホテルらしいロビーを設えました。オークラ ヘリテージは空間を床の間に見立て、床や天井には装飾がありません。そして正面の壁を、平安時代の和歌帖「三十六人家集」の料紙をモチーフにした壁画で彩っています。これは本館の「平安の間」の一部、壁面装飾を移設したものです。またオークラ プレステージのロビーは、広く愛された本館のロビーを現代の技術で忠実に再現。どちらのロビーも、本館のロビーを手がけた谷口吉郎を父に持つ建築家、谷口吉生が設計しました。

ヘリテージウイングロビー

The Okura Tokyoは、オークラ ヘリテージウイングとオークラ プレステージタワーのそれぞれに、このホテルらしいロビーを設えました。オークラ ヘリテージは空間を床の間に見立て、床や天井には装飾がありません。そして正面の壁を、平安時代の和歌帖「三十六人家集」の料紙をモチーフにした壁画で彩っています。これは本館の「平安の間」の一部、壁面装飾を移設したものです。またオークラ プレステージのロビーは、広く愛された本館のロビーを現代の技術で忠実に再現。どちらのロビーも、本館のロビーを手がけた谷口吉郎を父に持つ建築家、谷口吉生が設計しました。

継承される場所

かつての本館のロビーを設計したのは、20世紀の日本を代表する建築家、谷口吉郎でした。モダニズムの建築手法に則りながら、和の感覚を丁寧に活かす彼の作風は、まさにホテルの理念そのものだったのです。オークラ プレステージタワーのロビーが、彼のつくった空間を再現したことは、創業以来の思想が未来へ継承されていく証といえるでしょう。オリジナルのロビーで特に意図されたのは、静かで落ち着いた雰囲気。梅の花をイメージして丸いテーブルと椅子を配置した、余白の美しい空間が蘇りました。

かつての本館ロビー
現在のロビー
プレステージタワーロビーの照明
光と影のデザイン

オークラ プレステージタワーのロビーは、光と陰影のバランスが美しくデザインされています。特に存在感があるのは、天井から吊り下げられたオークラ・ランターン。古墳時代の水晶の装飾玉から発想されたもので、光を包み込む多面体が5つ連結しています。新たにLEDを採用しながら、往時と同じ風情のある光を実現しました。また空間の一面は、大間障子と美術組子により、柔らかい自然光が広がります。以前の本館との違いは、ロビー全体の向きが変わり、南から光を取り入れていること。1日の自然光の変化をふまえ、光の加減がきめ細かく調整されました。

わび、さび、みやび

わび、さび、みやび

ホテルオークラの本館にあった「平安の間」は、日本有数の広大な宴会場で、数々の国際会議や著名人による催しの舞台になってきました。The Okura Tokyoには、その伝統を継ぐ新しい「平安の間」があります。以前の「平安の間」の壁面が国宝の和歌帖「三十六人家集」で彩られたのに対し、こちらは大倉集古館所蔵の国宝「古今和歌集序」の唐紙を壁面装飾のモチーフにしました。その文様を拡大して版をつくり、国産の手漉き和紙に手摺りしたものです。優美な色合いや素材感が、日本美の感性を体現しています。

平安の間
平安の間の天井
平安の間の扉
わび、さび、みやび

ホテルオークラの本館にあった「平安の間」は、日本有数の広大な宴会場で、数々の国際会議や著名人による催しの舞台になってきました。The Okura Tokyoには、その伝統を継ぐ新しい「平安の間」があります。以前の「平安の間」の壁面が国宝の和歌帖「三十六人家集」で彩られたのに対し、こちらは大倉集古館所蔵の国宝「古今和歌集序」の唐紙を壁面装飾のモチーフにしました。その文様を拡大して版をつくり、国産の手漉き和紙に手摺りしたものです。優美な色合いや素材感が、日本美の感性を体現しています。

和を取り入れる

The Okura Tokyoにひそむ日本の美は、誰もがすぐに気づくものばかりではありません。たとえばオークラ プレステージタワーのロビーにある、四弁花をあしらった壁面装飾。人間国宝の富本憲吉が、本館のロビーを設計した谷口吉郎に懇願され、病床にあった最晩年にデザインしたものです。日本固有の蘭をモチーフにした柄はオリジナルと同じ龍村美術織物によるもので、立体的な効果を生むように新たに織りました。また、館内の欄間や照明に用いた麻の葉文様や、シャンデリアの藤の花のモチーフなど、いにしえの美意識は至るところに顔を覗かせます。

梅の花のテーブルと椅子
四弁花文様の壁面装飾
麻の葉文様の組子
藤の花のシャンデリア
都心の茶室

わびさびを尊ぶ心もまた、日本古来のもの。その粋である茶室は、当初、ホテルオークラの本館7階で開業の2年後に完成しました。創業者の雅号から命名された「聴松庵ちょうしょうあん」です。その四畳半席は、裏千家の茶室で重要文化財の又隠の写しであり、数寄屋建築の名匠として名を轟かせた中村外二が施工しました。オークラ ヘリテージウイングでは、日本料理「山里」に隣接して聴松庵を移築。都心に立つビルの中にあるとは思えないほど本格的に設えられた空間は、国内外のゲストが茶道に目覚めるきっかけになるでしょう。

茶室「聴松庵」
都心の茶室

わびさびを尊ぶ心もまた、日本古来のもの。その粋である茶室は、当初、ホテルオークラの本館7階で開業の2年後に完成しました。創業者の雅号から命名された「聴松庵ちょうしょうあん」です。その四畳半席は、裏千家の茶室で重要文化財の又隠の写しであり、数寄屋建築の名匠として名を轟かせた中村外二が施工しました。オークラ ヘリテージウイングでは、日本料理「山里」に隣接して聴松庵を移築。都心に立つビルの中にあるとは思えないほど本格的に設えられた空間は、国内外のゲストが茶道に目覚めるきっかけになるでしょう。

モダンな自然

モダンな自然

オークラのロゴマークは、3枚の銀杏の葉を組み合わせてデザインされています。他にも館内では、銀杏を図案化した文様が何種類も用いられてきました。このアイデアを発想したのは開業当時の社長、野田岩次郎。ホテルの敷地に立っていた銀杏の木を事務所から眺めていて思いついたといいます。また、銀杏と並んで多用されているのが、菱模様のバリエーションです。菱模様は日本では6世紀頃から存在していたとされ、その形状も豊かに発展してきました。5つの菱形を重ねたような五階菱は、大倉家の家紋でもあります。

庭園の大銀杏
プレステージタワー1階 ホワイエの菱文
モダンな自然

オークラのロゴマークは、3枚の銀杏の葉を組み合わせてデザインされています。他にも館内では、銀杏を図案化した文様が何種類も用いられてきました。このアイデアを発想したのは開業当時の社長、野田岩次郎。ホテルの敷地に立っていた銀杏の木を事務所から眺めていて思いついたといいます。また、銀杏と並んで多用されているのが、菱模様のバリエーションです。菱模様は日本では6世紀頃から存在していたとされ、その形状も豊かに発展してきました。5つの菱形を重ねたような五階菱は、大倉家の家紋でもあります。

シルバーウェアの品格

The Okura Tokyoの飲食施設で使われる、500種類に及ぶシルバーウェア。そこにも自然のモチーフが見つかります。たとえばカトラリーの一部には、ホテルオークラが開業した頃の富士山をモチーフとしたシンボルマークと「1962」の刻印。当時のカトラリーが今なお使用されているのです。また大皿の葡萄のレリーフは、日本の職人が高度な技を凝らしました。これらのシルバーウェアは洋白(ニッケルシルバー)に銀メッキを施してマットに仕上げてあり、正しくメンテナンスすることでずっと使い続けられるのです。

シルバーウェアのカトラリー
四季を愉しむ庭園

The Okura Tokyoには、季節ごとに豊かな緑が目を楽しませる庭園があります。散歩道の起点は、プレステージタワーとヘリテージウイングに囲まれるように佇む、オークラスクエアの水盤です。19mもの敷地の高低差をダイナミックに生かした園内は、石組みで瀑布を表現したエリア、菖蒲や燕子花が群生する湿地、そして歴史的な大銀杏などがあり、1年を通じて移り変わる日本的な風景を堪能できます。また一部の通路には、大倉集古館が所蔵する石碑や灯籠を展示して、芸術的な雰囲気を演出しました。

四季を愉しむ庭園

The Okura Tokyoには、季節ごとに豊かな緑が目を楽しませる庭園があります。散歩道の起点は、プレステージタワーとヘリテージウイングに囲まれるように佇む、オークラスクエアの水盤です。19mもの敷地の高低差をダイナミックに生かした園内は、石組みで瀑布を表現したエリア、菖蒲や燕子花が群生する湿地、そして歴史的な大銀杏などがあり、1年を通じて移り変わる日本的な風景を堪能できます。また一部の通路には、大倉集古館が所蔵する石碑や灯籠を展示して、芸術的な雰囲気を演出しました。

平安の遊びをイメージ

もともとホテルオークラには、枯山水の屋上庭園「曲水庭」がありました。それは、小川に酒を注いだ盃を流し、参加者が詩歌を詠みながら盃の酒を飲む、平安時代の宮中に縁のある「曲水の宴」をイメージしたものでした。新しい庭園は、この曲水庭をモチーフとして、水の流れを感じさせる場所になっています。枯山水の要素も取り入れており、重さ12トンの庭石をはじめ、風景を演出するさまざまな見どころにあふれています。

水の流れをイメージした庭園

オークラらしさ

芸術を愛する

芸術を愛する

毎月25日、オークラ プレステージタワーのロビーでは、国内外のクラシック音楽家による無料コンサートを開催。普段は静かな空間が優雅な音色に包まれます。ロビーコンサートは、開業25周年を記念して1987年に始まりました。また1996年より、新進音楽家を対象とするホテルオークラ音楽賞を創設して、受賞者の記念コンサートも開催しています。ホテルの創業者である大倉喜七郎は、芸術や文化を愛し、その普及に努めた人物。彼の思いが、こうした催しの原点にあります。

コンサートの様子
芸術を愛する

毎月25日、オークラ プレステージタワーのロビーでは、国内外のクラシック音楽家による無料コンサートを開催。普段は静かな空間が優雅な音色に包まれます。ロビーコンサートは、開業25周年を記念して1987年に始まりました。また1996年より、新進音楽家を対象とするホテルオークラ音楽賞を創設して、受賞者の記念コンサートも開催しています。ホテルの創業者である大倉喜七郎は、芸術や文化を愛し、その普及に努めた人物。彼の思いが、こうした催しの原点にあります。

文化を共有する場

ホテルとは、宿泊や食事をするだけでなく、人々が文化を共有する場所。The Okura Tokyoは、そう考えます。たとえば館内のフィットネス&スパは、1973年に国内のホテルとして初めて設けた会員制ヘルスクラブを原型としたものです。専門トレーナーの個人指導を特徴とし、利用者の総合的な健康を目指してきました。また1982年に始まった囲碁サロンでは、女流棋士が会員に直接指導。古来から貴族社会で好まれた囲碁は、大倉喜七郎が日本棋院を支援した縁があり、オークラが大切にしてきた文化です。この活動も、未来へと続いていきます。

囲碁サロン
ワインを楽しく学ぶ

The Okura Tokyoのワインアカデミーは、目的やレベルに応じてさまざまなコースがあります。館内レストランの経験豊かなソムリエ陣や各分野の専門家、著名な評論家が講師を務め、独自のカリキュラムでワインの知識を磨いていきます。The Okura Tokyoには、希少なワインはもちろん、管理の行き届いた良好な状態のワインが揃っています。その中から、テーマに最適なワインを厳選して提供します。また、ワインを楽しむうえで大切なのは料理との相性です。毎回、フランス料理、日本料理、中国料理、チーズと共に最高のマリアージュを味わいながら学ぶことができます。

ワインアカデミー

アートとともに

アートとともに

The Okura Tokyoの敷地の一角では、中国古典様式の趣ある建物が目を引きます。1917年まで歴史をさかのぼる日本初の私設美術館、大倉集古館です。大倉財閥創始者の大倉喜八郎は、日本やアジア諸国の古美術に関する当代有数の収集家でもありました。それらの作品を一般公開する場として財団法人化された大倉集古館は、多くの人々が一流の美術品に触れられる場として、当時としては画期的なものでした。The Okura Tokyoの開業にあたり、当初の位置から6.5m移動するとともに外周を覆っていた収蔵庫が取り払われ、現在の場所にリニューアルオープンしています。

大倉集古館
アートとともに

The Okura Tokyoの敷地の一角では、中国古典様式の趣ある建物が目を引きます。1917年まで歴史をさかのぼる日本初の私設美術館、大倉集古館です。大倉財閥創始者の大倉喜八郎は、日本やアジア諸国の古美術に関する当代有数の収集家でもありました。それらの作品を一般公開する場として財団法人化された大倉集古館は、多くの人々が一流の美術品に触れられる場として、当時としては画期的なものでした。The Okura Tokyoの開業にあたり、当初の位置から6.5m移動するとともに外周を覆っていた収蔵庫が取り払われ、現在の場所にリニューアルオープンしています。

至宝のコレクション

大倉集古館は、「古今和歌集序」はじめ国宝3件、重要文化財13件および重要美術品44件を含む約2500件の美術品を所蔵。大倉喜八郎は、日本や近隣の国々の優れた芸術品が散逸するのを防ぐため、絵画、彫刻、書跡、工芸など多岐にわたる作品を集めました。またホテルオークラ創業者の大倉喜七郎も、日本の近代絵画を寄付したほか、集古館の活動を積極的に支えました。華やかな中も優美さが感じられるような魅力ある作品が多く収蔵されているのが、このミュージアムの特徴です。美術品に対する感性も、ホテルの美意識と通底しているのです。

国宝「古今和歌集序」(部分)
平安時代・十二世紀
ホテルという美術館

The Okura Tokyoで目にする貴重なアートは、大倉集古館だけではありません。ホテルオークラの時代から、アートを感じる豊かな空間づくりを進めてきました。特徴的なのは、建築から空間の設えまでをトータルな芸術作品として捉え、壁紙もアートとしての美しさをそなえたものが選ばれています。

プレステージタワーロビーの壁面装飾
六曲一隻の屏風
ヘリテージウイングロビーの壁面装飾
プレステージタワー1階 壁面装飾

シグネチャーメニュー

シグネチャーメニュー

The Okura Tokyoのレストランやバーには、その店を代表するシグネチャーメニューがあります。代々継承されてきたものも多く、日本料理「山里」の「鯛のあら炊き」もそのひとつ。最もおいしいとされる大きさの天然真鯛のかぶとのみを使用するため、時季に合せて産地を変えるなど、食材を見極める確かな眼力が求められるのです。和食の味つけには好みがあるので、これが「山里」の味と決めるのではなく、お客様のご希望に合わせ、時には体調にも配慮して仕上げます。これが開業当時から受け継がれてきたいちばんのこだわりです。

鯛のあら炊き
シグネチャーメニュー

The Okura Tokyoのレストランやバーには、その店を代表するシグネチャーメニューがあります。代々継承されてきたものも多く、日本料理「山里」の「鯛のあら炊き」もそのひとつ。最もおいしいとされる大きさの天然真鯛のかぶとのみを使用するため、時季に合せて産地を変えるなど、食材を見極める確かな眼力が求められるのです。和食の味つけには好みがあるので、これが「山里」の味と決めるのではなく、お客様のご希望に合わせ、時には体調にも配慮して仕上げます。これが開業当時から受け継がれてきたいちばんのこだわりです。

鉄板焼の薄切り牛

上質な薄切りのリブロースで、大葉、白髪ネギ、焦がしたニンニクを巻き、さっと焼いたものをタレときめ細やかな大根おろしでいただく。鉄板焼「さざんか」のシグネチャーメニューは「薄切り 特選和牛リブロース 特製タレ焼き」です。お客様の声から生まれたこの料理は、鉄板焼の醍醐味である厚いステーキとは違い、薄切り肉の味を最大限に引き出すように、火加減に心を配って柔らかくジューシーに仕上げます。目の前で食材を調理し、上質な素材の風味を味わう鉄板焼。今や日本料理のひとつになった鉄板焼が普及した背景には、オークラの工夫と努力がありました。

マティーニ

カクテルの王様といわれるマティーニは、開業当時からのメインバーである「オーキッドバー」のシグネチャー。ノイリー・プラットとオレンジビターを配合したオリジナルビターをわずかに加える、ベリードライな一杯です。ミキシンググラスでお酒と氷を合わせる際、水っぽくならないように氷の抵抗を最小限に抑えるステアの技術にも、オークラならではの決まりがあります。
バリエーションが豊富なところも魅力のひとつ。オーキッド(蘭)をイメージし、仕上げたエスプレッソマティーニ、金柑やストロベリーなど旬の果物を使ったフルーツマティーニなど、至極の一杯と出会えます。